他人と自分を比較して落ち込んでたけどそれを糧に成長する方向にシフトした話
今日は私が高校生の時に感じたことについて書いていきます。
私は県内で有数の進学校に入学しました。
中学の頃はそこそこ頭も良かったものの、進学校に進学すればそれはもう怪物級の頭を持った人たちばかりであっという間に埋もれてしまいました。
高校生活は勉強や模試を除けばそこそこ楽しく過ごせていて、そんな中で大切な親友と出会いました。
彼女は学年一位で東大模試A判定をとるような猛者です。あと可愛い。
(授業中は寝てるし宿題はやってこないわでどこで勉強してるんだよって感じの子でした。)
彼女をはじめとし、一緒にいる仲の良いグループも、私以外は医学部志望者ばかり。(あと可愛い)
それぞれ目指す道が違うことは当然なので気にしないでおこうとしていましたが、天才達に囲まれる生活でどうしても劣等感を感じることが多くなりました。
もうね、毎日が辛かったです(笑)
友達のことは大好き。だけどどこか比較してしまう自分がいました。
私は平凡な人間だし、彼女達のようにはなれない。
勝手に自分の限界を設定し、目の前に立ちはだかる比較対象の友達から目を背け、日々悶々とした気持ちで過ごしていました。
結局、比較することに疲れた私は、学力に関して諦めたというか、何も考えないようすることにしました。
(そうしたらまあ嘘みたいに気持ちは楽になった。)
社会人になった今も、自分より秀でている人は沢山いるし、比較したり、羨ましいなと思うことは沢山あるよなあ。と実感しています。
そもそも誰かと比較することは悪いことなのか?
私は比較する対象があるからこそ、成長できると思っています。だから比較することは悪いことじゃないと思います。
人と比較するなって言葉をよくみかかますけど、
比較すべきだと思うし比較することって当たり前なことですよね。目を背けようとしたって比較しちゃいますもの。
そもそも人間って誰かと比較してしまうようにできていて、優越性を追求してしまう生き物なんだと思います。
比較してしまうのは仕方ない、だったら、比較しても自分が苦しいと感じないためにはどうすればいいかを考えるべきだと思います。
高校生の私は、学力の面で勝手に人と比較して勝手に劣等感を抱き、隠れるように生活していました。
(勉強の話になるとスッと存在を消すみたいな感じ。笑)
まずは相手と自分を認める
苦しいと思いますが、まずは相手を認めること。
例えばお隣の夫婦とウチはこんなにも違うし、あちらの方がいい生活を送っている場合。
比較すると苦しいことなんて沢山あります。
こんな現実をみたときには、相手と自分の置かれている状況を認め論理的に考えること。
比較するってことは羨ましいなと思う要素が絶対にあるはずです。
自分が求めている生活が相手にはあるってことですよね。だったら、その生活に近づくためには自分が行動を変えて頑張ればいいんです。
自分の強みを考える
忘れてはいけないことは自分だって誰かに羨ましがられたり比較されたりしている場合もあるってこと。
気づいてないだけで自分自身だって魅力的かもしれない。というか、魅力的なんですよ。既に。
自分の持っている強みを考1つでもいいから考えてみてください、そうすると楽になるはずです。
劣等感の塊な人間はいません。
成長のバネにするつもりで思考を変える
比較できる対象がいるのって素晴らしいことだと思うんですよね。相手には勝てなくてもいいんですよ、人の能力なんてバラバラだし限界値にも差があるし、自分は自分なんです。物の捉え方だってみんな違う。
だからこそ自分の能力の限界を決めつけて目を背けるくらいなら、できるところまでやってみるのも人生楽しいと思います。
苦しいなら、ぶつかってみることもアリです。
成長するために全力になれることって幸せなことですよ。
どうして羨ましいのか、比較するのか。
自分にもうプラスアルファ何かがあれば人生は豊かになるのかもしれない。
相手から学べるものは学んで自分のものにしちゃうんです。
行動すれば今の現状は、絶対に変わります。
気づいたら変わっているし、比較することもなくなっているものです。
相手を敵とみなさい
比較する相手を敵とみなしてしまうと凄い勢いで憎悪感や、嫌悪感、劣等感が生まれます。
だから、敵じゃなくて仲間だと思うとこ。
正直敵対心してもなんの特にもならないしすごく苦しむことになります。相手は自分のことには興味すらない。そんな相手にメラメラ敵対心する必要ないです。
むしろ劣等感を生みやすくしてしまうから、敵と思わずに手本だとか、仲間だとかそんな感じで相手をみることが大切です。
比較することによって疲れてしまうときは?
そもそも比較することをやめる!!!!!
遮断ですよ。遮断。嫉妬とか比較とかそういうのもう疲れたしめんどくさいしイヤっ!!!
となることもありますよね。そんな場合はもう比較すること自体諦めること。やめる勇気だって大切です。
世の中は残酷なもので圧倒的な格差があふれています。人と比べたって精神衛生上よくないことも多いです。精神的に壊れちゃったら元も子もないです。
そんなときはもう、いっそのこと全部やめちゃう。
そうすると悟りを開いたように楽になります。
(高校の頃の私は比較することを最終的にやめて自分のしたいことをするようにしました。)
比較をやめることで学びだって沢山あります。
むしろ比較しないほうがメキメキ伸びる人も多いですし。
私はこれからも比較して生きていく
比較することすらやめた高校時代でした。
だけど結局、大学生、社会人、主婦(なれるかは不明だが)
どのフィールドになっても比較しちゃうことが多いよなあと日々感じています。
だから私は比較することを認めました。
多分比較しないと成長できないタイプなんです…。
比較っていっても、人より上でありたい優越感を感じたいとか、そういうのじゃなくて、
自分自身の人生をより豊かにするために、比較という気持ちを糧に頑張りたいと思いました。
あの子はこんなにも素晴らしく、魅力的、羨ましいな。私も頑張りたい。そしてちょっとだけ学ばせてね。っていう姿勢。
大学生からはこのスタンスに切り替えました。そうしたら高校の時よりも楽になった。
比較したら、個性がなくなるんじゃない?と言われたこともありますが、もともと生まれ持った個性はあるんだから、それに武器を足していけばきっと楽しくなるしできることも増えてくる。
自分にないものを取りいれて成長していくことって案外楽しいものですよ。
比較してしまうことが多い方は、自分にはどのスタイルがあっているのかを考えて、選択していくと何かが変われると思います。
高校時代を思い返してみると自分の気持ちと向き合うことは辛く苦しいことが多かったですが、自分のスタイルをみつけ、ゆっくりやれることをやれたらいいなと思えるようになりました。
おしまいっ。
(すごく長くなってしまった…。)